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仮設に移った被災者が小千谷高体育館を清掃
長岡市、最後の避難所を閉鎖 山古志村民が仮設住宅入居 長岡の3カ所に1700人 そして、ここから 誰もいなくなった体育館に立つ。 12月5日、小千谷高校の体育館から、最後の塩谷地区の方々が仮設住宅へ移られた。 最初の引越しが12月3日、それから3日間、引越し班とて仮設住宅と体育館をいったりきたりしていた。 少しずつ荷物が減り、人が減り、複雑な思いが駆け巡る。 夜、音楽隊としてみほこんと一緒にここにきたとき、おいしいおさけをのませてくれたお父さんの笑顔、荷物の片付けをしながら震災後の鯉の話を聞かせてくれたお母さんの涙。おいしいお菓子やスープなどを元気村に沢山くれたおとうさんの「遠慮すんな馬鹿もん!」という威勢のいい声・・・。 4日の夜、体育館で過ごす最後の夜として、お疲れ様会があった。地区の代表者の方、元気村のリーダーがそれぞれ言葉を述べて、みんなにお酒が行き渡り、「乾杯」の言葉の代わりに「がんばるぞー」という言葉で杯を交わした。 それぞれに、それぞれの表情があり、それは5日の朝、仮設住宅への引越しが一段楽したときに、寂しいね、不安だね、そんな言葉になってぽろりとでてきたりもする。とりあえずこれからの一年二年の居場所が決まって、ほっとしながらも、これからのこと、その先のこと、畑のこと、田んぼのこと・・・いろいろなこと、あたしたちには計り知れないくらい沢山のことが、あるのだろう。 部屋については、思ったより広いね、とか、畳の方がいい、棚や冷蔵庫、テレビが欲しいなど、いろいろな感想があり、午後になってニーズ調査に行った時にはやはり家電製品の需要が多かったように感じる。でもそれより何より、片付けを手伝いながらお話をして、一緒にお茶を飲んで、そんな人と人との関係、ふれあいがとても重要だと思った。手伝った元気村スタッフが部屋を出て行くとき、感極まって泣いてしまうお父さんもいた。それはきっと、暖かい嬉し涙だったのだろう。 これから先、広く物資を配ったりすることももちろん必要なことはまだまだあるが、今まで以上の心のふれあいが大事になってくるのではないかと思っている。 この仮設住宅への引越しが終わって、これからがまたいくつめかの山場となっていくだろう。 狭い仮設住宅に入る小さなテレビ、洗濯機、冷蔵庫、部屋の使い勝手をよくするための棚、靴箱などの設置、畑や田んぼをしていた時間に代わるなにかをつくりだすこと、元気村はまだまだ沢山のことを企画して、大きな組織となって動いていっている。 この中で、ちっぽけな個人としての存在でしかないあたしにもできることはきっとあると思うので、自分なりに頑張っていこうと思う。 (えり) AVNのえりが、12月3~6まで中越元気村にて活動してきました。今どの地域でも仮設住宅の入居ラッシュです。下旬頃になればひと段落すると思います。 そして、被災者の方、ボランティアも、やっと一息つけることでしょう。 今までの事、そしてこれから立ち向かはなくてはならない事。 ボランティアにとっても、災害復旧から生活支援へと移行していきます。阪神大震災の時は、この頃からだんだん報道が少なくなり、社会から忘れられて行きました。そして厳しい冬がやってきます。 ボランティアの力はまだまだ必要です!みなさん、新潟の事、忘れないで下さい。冬の活動が不安な方は、春から参加してください。山古志村など、何も出来ずに冬を迎えてしまう地区 もたくさんあります。是非、長い目で見守ってあげて下さい。 AVNでは独自に冬季支援をする事も検討しています。決定次第発表しますので、参加をお待ちしています!
by 111
| 2004-12-08 11:35
| レポート
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