あかつきボランティアネットワークblog


中越大震災の復興ボランティアの為に。それぞれがそれぞれの場所で、できる限りのことを、できる範囲で。そしてなにより求められていることを。
by 111
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活動レポート3

26日 (2)

夕方、仮設住宅でお話しをしていると同じ仮設住宅の方が訪ねてきた。その方のお話によると、かなりのひどい結露、というか、雨漏りだというので、見せていただくことに。
家に上がらせていただくと、各部屋に4つも5つも新聞紙の上にカップラーメンの容器がおいてあった。その中には赤い水が溜まっているし、天井を見るとゆがんでいるし、壁には水の伝う赤い筋ができていた。どの部屋も同じような感じで、部屋の中には家具や家電製品を運び込めないとおっしゃっていた。天井の備え付けの蛍光灯でさえ、漏電が怖い。
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専門的なことや、ここまでひどくなると私たちには対処できないので、木村先生に見ていただき建築士さんや行政に対処をお願いするしかない。あまりのひどさに、住民の方も「こんなの人間の住む場所じゃない」と怒りを抑えられない様子。・・・他の場所でも、何度同じ言葉を聞いただろう。雨風さえしのげれば、自分の家を失って人様のお世話になっているのだから文句は言えない・・・そんな言葉もよく聞くけれど、雨風さえしのげず、新聞紙とカップラーメンの容器で自分の居場所は本当に少ない。夫婦で暮らしていても、雨漏りのないスペースが少なすぎて1部屋に二人で寝ることもできない。出て行きたくても・・・行く場所は無い。
以前伺った元中子仮設の雨漏りのひどいお宅では、12月の雪が降る前から雨漏りで、市役所に再三申し出て、2週間前にやっと業者が入って少し処置をしていったらしく、今回伺うと水受けの数が以前の5個から2個に減っていた。それでもまだ完璧に治ったわけではないが、一度来たら業者はもう来ないんじゃないか、とおっしゃっていた。
まだまだ、雨漏りで足の踏み場のないようなお宅は沢山あるだろう。
雪だけではなく、今後の露の時期なども気温が上がるのでカビなどがさらに心配だ。
また、玄関についても、扉を開けたらすぐにキッチンなので靴置き場、灯油などの置き場にも困っている。玄関を作るために写真のような二重扉にするには住民の方が自分で業者を呼ぶか、材料費は自費でボランティアに頼むかしかない。
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この小さな仮設住宅では二重扉にしているお宅は少なかった。「お金がかかるから・・・・」と。


夜、極楽寺では麻田さんと、笹岡さん、かよちゃん、木村先生、ばばちゃんたちと11時くらいまで話をしていた。

小千谷に住んでいる方から、自宅に住み、街中で生活しているとだんだんと地震のことが過去になっていく、というお話を聞いた。日常に戻り、山の方に住んでいる方のまだまだ大変な現状を、ボランティアが活動しているということを通して知る。ボランティアより、むしろ住民の方が現状を知らないのではないか、と。まだ大変な人たちもいて本当は全然日常に戻ってないのに、震災のことが過去になって、自分は日常に戻りかけていて、それじゃいけないような気がする、と。
それを聞いたとき、別にそれはいけないことではなくて、住民の方の感覚が一番正確なのだとあたしは思った。
中越と言っても広くて、街中に住んでいる方、山間に住んでいる方、自宅に住んでいる方、仮設に移られた方・・・色々な方がいる。
みんながみんな、足並みをそろえる必要はなく、いつまでも「被災者」でいる必要も無い。平穏な日常に戻れたのなら、それは喜ぶべきことなのではないだろうか。
それによってできた余裕を、他の人のお手伝いに向けることは地域の助け合いとしてとてもいいと思うけど、自分が通常の生活に戻れたことに対して、または大変だった地震が過去のことになったとしても、うしろめたさや焦りなどを感じなくてもいいと思う。
”忘れないで”と言っても、辛い記憶はできることなら薄れたほうがいい。忘れることはできなくても、気にしなくなってきて穏やかに暮らせるのなら、その方がいい。日常に戻ることがとても大事なことだから。
あたしには自分が被災してない以上偉そうな事は言えないし、複雑な気持ちは分からないと思うけど、その住民の方の複雑な気持ちは多分どれも正しいのではないだろうか。
そして、それじゃいけないと思って自分にできることを探して何かやりたいと思う、と話してくれたその方は、とても暖かい方だと思った。

そういえば、今回のお話とはちょっと違うかもしれないけれど以前仮設住宅でお話をしているときに「どうも、あの”団結”っていうのは好きじゃない、足並みそろえて皆が辛いんだからって、笑いたくても笑っちゃいけないような気がする」ということを聞いたことがある。そんなことないと思う。笑える人は、笑っていいと思う。そのお宅は大規模半壊で、仕事もなくて、これから先畑や田んぼもどうなるかわからないような状態で、それでも夫婦二人で笑顔だった。「喧嘩ばっかりしてるんだけどね、仲はいいの」と照れながら笑うお母さんの顔は、とても優しかった。大変なことを経験して笑えるようになった人は、きっと人の痛みも分かる強くて優しい人になる。
団結は大切だし、自分がよければそれでいいって言うものでもないけど、まずは自分が笑えるようになること、ほんの少しの余裕でも、それを分け合える時、助け合いができるんじゃないかな。

いろんな人といっぱい話せて、色々考えさせられます。。。
分からないことだらけだけど、人と関わりあいながら自分にできることをひとつずつみつけていこうと思う。


(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-03-03 03:51 | レポート

活動レポート2

26日

朝9時にばばちゃんと木村先生と小千谷駅で待ち合わせた。木村先生は現在色々な仮設住宅で結露の調査をしていて、知り合いの建築士の方などの専門的な方向から行政に働きかけてくださるとのこと。今回は移動のサポートをしてくださるので一緒に仮設住宅へまわり、私たちも調査のお手伝いと、お話し相手と、その場で雪ほりなどできることが何かあればお手伝いができたらな、と思い、三人で仮設住宅へ。
以前伺った小規模な仮設住宅のお母さんのところへ行ったが、留守なのか聴こえないのか、鍵がかかったまま声をかけても反応がないので、別のお宅へ。そこのお宅もお一人暮らしで、初めてお会いしたのにちょっと玄関先で話してすぐに「まぁまぁ、上がって上がって~」と、お茶が出てきたりお菓子が出てきたり。。。結露を見せていただくと、屋根裏の雨漏りとかではなく純粋な結露で、かなりひどい状態だったので、急遽対処することに。
コメリに買い物に行き、プチプチシートとガムテープ、両面テープなどを買い、結露のひどい場所に張っていく。
これが、始めると次から次へと現状が明らかになっていった。
まず、押入れの中。壁がびっしょり結露して、その水が下の木の板まで染み込み既に大量のカビが・・・。
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このお宅は棟の一番端の家で、この壁の向こう側は雪の山が密着している。氷を入れたコップの側面と同じ状態なのだ。窓も、壁も、壁の黒い鉄骨も、かなりの結露の量で、壁の溝に水滴が溜まっていた。
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このお宅では、除湿機を使用していたがそれでも生活スタイルとして部屋の中での石油ストーブ、その上のやかん、カセットコンロでの室内での煮炊き、などなど、結露の原因となることが多かったので、その一つ一つについて、これは結露の原因になるのでできれば止めたほうが良いですよ、ということはお伝えしたが、お年寄りの方にとって、生活スタイルを変えることは容易ではないのかもしれない。

とりあえず、結露を拭き、ぷちぷちを張り、たんす等を配置換えして結露を軽減させようと試みた。
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押入れの中、窓、黒い鉄骨部分、部屋と部屋の隙間の穴、などに応急処置をして、しばらく様子を見ることになった。少しでも住みやすい場所になってくれれば・・・。
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途中お昼にはお母さんがおもちを焼いてくれたり、おからや煮物をだしてくれたり・・・。本当に優しくあたたかい味で、とても美味しかった。
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ちょこちょこ休憩してはお話をして、お母さんの昔の話、家族の話、震災の話、お友達の話、畑の話、などなど、いろいろな話を聞かせていただいた。とても話し好きの方で、暖かく、優しい方だった。
帰り際には、「ありがとう、今日は一日本当に楽しかった、あんたたちに会えてよかったよ。また来てね」と言っていただき、こちらもとても楽しく、こちらこそ「ありがとう、またね、また来させてね」という気持ちでいっぱいだった。いつも、お邪魔したお宅には「さよなら」とは言わない。必ず、「またね」と言う。いつも、感謝の気持ちでいっぱいになる。新潟の方の暖かさに、こちらが元気をもらってしまうのだ。


活動レポ3へ続く。。。


(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-03-02 03:25 | レポート

活動レポート1

今回は、2月26,27日の二日間の短期滞在。
またまた、沢山の方のお世話になりました。横浜から中越まで車に同乗させていただいた神奈川レスキューバイクサポート・ネットワークの沢田さん、二日間一緒に活動することになった愛知のばばちゃん、26日に車がなかった今回の活動で車を出してくださり一緒に活動して下さった長岡技術科学大学の木村先生、27日にはおぢやのおやじママさんが子供さんたちも一緒に車を出して付き合ってくださった。26日の宿泊には、前回お世話になった極楽寺さんにまたお世話になり、夜は小千谷に住んで、立ち上がれ中越のシールプロジェクトをお手伝いしている結の村おぢやの笹岡さんと新潟スピリッツのかよちゃんも来てくれて、また新しい出会いがあり輪が広がっていった。本当に、皆様ありがとうございました。

26日 出発
午前2時半、もちろん真っ暗な中、横浜の家を出発。沢田さんの運転は、さすがJAF公認。雪道も全然心配なし。もともと心配なんてしていないけど、それを聞いてさらに安心しきって乗らせていただきました。
沢田さんは震災直後から活動されていて、現在も週末には川口町ボラセンで車両班をされているとのことで、川口町の話なども聞かせていただいた。あたしも川口町ボラセンで活動していたこともあるので、その頃の話から、今の川口町のこと、元気もりもり隊の活動のこと、スタッフとして活動しているとても暖かい人たちのこと、長期スタッフが必要とされていること、などなど。
中でも、もりもり隊というのは、子供やお年寄りや、地域の方と関わりながら長期的な心のケアと、その場で出たニーズの吸い上げ、対応などをしていて、特に人間的な関わり合いが必要とされているので、顔つなぎが重要になっている。現在活動されている長期のスタッフの方々は3月5日くらいを目処に一度帰られてしまう方も多いので、長期で活動できる方を募集しているとのことです。興味がある方は川口町復興ボランティアセンターまたは元気もりもり隊のブログをご覧ください。現在は短期ボランティアの受け入れ人数を制限していますが、1週間程度からの長期で活動できる方には宿泊なども応相談のようです。
などなど。お話をしながら朝7時半頃に越後川口の駅まで送っていただき、そこから電車で小千谷へ。雪は降っていたのだが、電車は通常通り動いていたようで、安心。
写真は越後川口の駅の風景。
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・・・・・活動レポ2に続く。

(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-03-02 01:02 | レポート

活動レポ3

2月13日

遅くなってしまいましたが。。。。2月13日の活動レポです。

前日、極楽寺さんに泊めていただいたAVN一行のうち、神戸からの二人が朝、電車で帰路に着いた。
あいちゃん、みおうちゃん、本当にありがとう。一緒に雪堀できて、住民の方と関われて、二人のパワーと明るさでとてもいい雰囲気でした。また、会えたら良いな。
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そして、残り4人は今日は極楽寺の麻田さんに、小規模な仮設住宅を案内していただくことに。
まず最初は極楽寺から歩いていける場所にある、38世帯だけの仮設住宅へ。仮設住宅のまとめ役の方に色々と案内していただき、住民の方とも少しお話ができた。
ボランティアがほとんどこないので、雪ほりなども全部自分たちで行っているらしく、「ボランティアは、あてにしてないの。自分たちでやらなきゃなんないからね」と言っていた。
自衛隊も、小さな仮設住宅には回ってこなかったらしく、親戚が大きな仮設住宅に住んでいる方はその親戚から、仮設の雪ほりを自衛隊がしてくれた、という話を聞き、まだかまだかと待ちかねていたけれど、結局来ないまま数日後の新聞に”自衛隊撤退”の小さな記事を見つけたのだという。
何もあてにならない、自分たちの力でやる。。。
本来の地域社会のつながりの中では、それがあるべき姿かもしれない。
けれど、あまりにも違う、大きな仮設との待遇の差と、例年にない大雪、仮設住宅という特殊な場所。自宅と仮設の両方が気にかかる。
苛立っているのが、伝わってきた。
少人数で活動する私たちにできることは、現実を見つめること、心に留めておくこと、情報を発信する事、機会と人手を見つけてお手伝いすること、くらいしかない。どれだけそれが役に立つかは分からないけれど・・・。

その仮設住宅には一人暮らしのお年寄りのお宅は3軒で、ご挨拶と、広島からのホッカイロ、極楽寺の方から言付かってきたあったか下着などをお渡しして、少しお話をさせていただいた。

集会所には高さが20センチもないくらいの低い長机しかないとのことで、麻田さんがお寺にあるのを使ってくださいということで、テレビ台と足の高い長机を運び込んだ。本当に、極楽寺さんは色々な面で頼りにされ、力を尽くされているなぁと感じた。
それは、次に行った仮設住宅でもさらに強く感じた。

十数世帯しかないその仮設住宅は、雪壁に阻まれてまったく通りからは見えないくらいの場所にあった。ボランティアもほとんど来ないし、地元の方でもここに仮設住宅があることを知らない方もいた。地域でまとまって入っているわけではないので、知り合いがいなかったり、管理人がいないので集会所もほとんど使われていない状態だった。

あるお宅に伺ったとき、そのお母さんは、極楽寺の方に本当にお世話になって、優しくしてもらって、とても良い方で頼りにしてて、感謝してるの・・・と、涙を浮かべながら話してくださった。
その方の話を聞いているだけでも、震災当初から今まで、どれだけ支えになっているかが良く分かった。そして、たまたま必要なものがあるけど車の運転ができなくて・・・ということで、お母さんと一緒にコメリまで車で買い物に行くことになった。
帰り際、せっかくだから一緒にご飯を食べていって、と言って頂いて、みんなでお話をしながらご飯をいただくことに。
とても話し好きの方で、近所に知り合いがいないこともあり、一度話し出すと止め処なく言葉が出てくる。「また話し相手に・・・」と言っていただいて、何もできなくてもお話し相手くらいはさせていただきたいと思うので、これからも小千谷に行ったら顔を出してみようと思った。

夕方安部さんも来てくれて中越センターボランティア本部のかわら版の取材を受け、色々自分でもまとまらない気持ちを言葉にすることができて、それをじっくり聞いていただくことができて、また、メンバーの熱い想いを改めて聞くことができて、とてもよかったと思う。取材に来てくださった方もボランティアで、長岡から小千谷まで、ありがとうございました。2時間以上しゃべってしまってすいません(^^;)
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小千谷を出て、途中スキー客による渋滞などもあり、温泉に寄ったりして、横浜に帰り着いたのは0時を回っていた。

今回も、沢山の出会いがあり、また新しい輪が少しずつ広がっていったような気がした。

新潟はまだまだこれから・・・。
沢山の方の、暖かい気持ちが、新潟の方の笑顔につながっていきますように。

今回お世話になった方々、本当にありがとうございました。
一緒に活動できた方々、これからもよろしくお願いします。


(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-02-24 11:48 | レポート

活動レポ2

2月12日

越路町から、朝9時に仮設住宅へ行き、前日にお約束した方と一緒に山へ。
水道がまだ復旧していないので、このままでは鯉の生簀のタンクが空になってしまうので、雪の下から掘り出して近くの家から井戸水を引いてくるという作業をお手伝いさせていただくことに。
以前は屋根が見えた生簀のある建物も、雪の壁に阻まれてすぐ近くに行くまでその姿を見ることはできなかった。入り口も、人一人が通れるくらいの雪壁の間の細い道を降りていく。
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そして、鯉の世話を見せていただいて、建物の側にあるタンクをいざ救出。
・・・いざ・・・・。って、タンクはどこに?!
その方曰く、どうやらこのへん・・・・と。身長より高く積もった雪を、とりあえずスノーダンプとスコップを使って掘り、さらにどかした雪を機械で飛ばす。タンクが見えてきたところで、ながーーいホースで水を引いてくる。今度は、そのホースを通した道の幅を広げるために、雪ほり。
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大体昼頃までその作業をして、みんなでお昼ご飯。エースコックから出ている「新潟で見つけた煮干背油系ラーメン」というカップラーメンがなかなかの美味です。是非一度お試しあれ。関東でも買えるようです。
午後は家の隣の作業小屋救出大作戦!といっても、屋根の雪を下ろすのではなく、小屋の周りに雪が積もりすぎて屋根からの雪と地面からの雪がくっついてしまい、これ以上屋根の雪が下に落ちられない状態だったので、そのつなぎ目をくずし下を少しあける。
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その作業が終わり、その場で少し話をしている時、「ズズズ・・・」という音がしたのであわてて一同その場を離れて下から見上げてみるとすでに数センチずれて隙間ができていた。
このお宅の方は「こういう作業は雪の下敷きになって発見されないっていう危険もあるから一人や二人じゃできないんだよ」とおっしゃっていたが、確かにかなり危険だと思う。屋根に上ることだけではなく、下からの作業でも落ちてきた雪の下敷きになって窒息死してしまうという事故もあるので、十分に注意が必要である。「明日には落ちてるだろうな」とみんなで見上げながら雪の怖さを改めて実感。
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その後、一緒に雪ほりをした方のお宅にも少しだけお邪魔させていただいた。
大規模半壊のそのお宅は、一階部分が全て雪に埋まってしまい、この日は機械を使って家の周りの雪を一階の半分が見えるくらいまで飛ばし、玄関を掘って家の中に入れるようにしたそうだ。初めて新潟に行ったメンバーも家の中に入らせていただいて、落ちた壁、倒れたままの家具、そして何より、6時前の、震災のあの瞬間のまま止まったままの時計にショックを受けていたようだった。

帰り際、「まぁ一杯飲もうや」というお誘いを受け、仮設住宅に戻りお邪魔すると、いつの間にやら大人数!一緒に雪堀をしたお父さん、そのお友達のご近所の方、仕事仲間の方、などなど、「おーじゃぁあいつも呼ぶかー」と、増えていき、最終的には総勢10名。途中近所のお母さんが白菜の漬物を持って来てくれたのを食べさせていただいたり、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。

この日、夜は小千谷のお寺にお世話になった。
小千谷に住み、仮設住宅訪問など一人で活動されているお寺の方と以前AVNの小林氏がメールでお話させていただいて、今回お寺に泊めていただけることになったのだ。さらに、小千谷の現状、小さな仮設住宅の現状などのお話も聞かせていただいて、翌日はボランティアがあまり入っていないという小さな仮設住宅を案内していただくことになった。
そのお寺は震災後避難所にもなっていたそうで、もともとのご近所付き合いや避難所の頃からのお付き合いから現在の仮設住宅訪問までつながり、ケアされているそうで、その暖かさ、優しさ、深さは翌日仮設住宅で住民の方のお話からも伺えた。
それはまた、翌日のレポートで・・・。
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by 111 | 2005-02-15 16:28 | レポート

活動レポ1

まず、今回の活動に参加してくださった方、現地で出会えた方、活動に対して物資、資金などの支援をしてくださった方、遠方から住民の方へ物資提供してくださった方、本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。

今回の主な活動は、預かった物資の提供、雪ほり、お話し相手などでした。

2月11日

AVN名古屋のメンバーは前日に横浜入りして、11日早朝、三重、東京、横浜、名古屋からの4人で東京出発。しかし三連休初日のため、関越がかなりの渋滞で小千谷まで7時間ほどかかってしまい、その間、寝台列車で朝から現地入りしていた神戸からの二人は新潟スピリッツの雪ほり活動に参加させてもらった。高速道路では3件ほどの事故を見かけ、改めて雪の怖さを思い知らされる。関越トンネルの先は、これまでに無いほどの雪の量だった。
到着後、二人と、新潟在住の中澤氏と合流。まずは元中子仮設住宅の顔見知りのお宅を訪問して、広島の方が義援物資として集めたホッカイロなど預かってきたものをお渡しして雪ほりなどのニーズを聞いて回ったり、結露の現状や対策後の状況を見せていただいた。
あるお宅では、結露に加え雨漏りもひどいとのことで、天井を見せていただくと、天井と壁に1cmくらいのずれがあり、部屋の中には4、5個も洗面器が置かれていた。
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雪の降る前からこのような状態で市役所に問い合わせているが、なんの対応も無いとのことで、「こんなの人間の住む場所じゃない」と怒りをあらわにされていた。また、月曜日には役所に行くのだという。

集会所に顔を出すとボランティアの方がストレスケアのストレッチを行っていて、私たちも少し教えていただいたり、受けさせていただいた。
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中越元気村への預かってきた物資を届けに行った後、新潟スピリッツのメンバーと合流し「ちぢみの里」という温泉で温まり、AVNメンバーは越路町へ。
AVN新潟の安部氏も越路に顔を出してくれて、みんなで鍋を囲みながら時間は過ぎていった。

(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-02-15 11:55 | レポート

小正月5

「小千谷の鯉」

17日の朝、朝日地区に入ると前日綺麗に雪かきしたところがすでに白く積もって、その雪の上には2匹の野うさぎの足跡が山の上の方へと続いていた。
雪ほりの前に、地震でも幸い無事だったという鯉の世話を見せていただいた。近くの家では、地震のときに一匹の親鯉さえも残らず全て死んでしまった養鯉場もあったという・・・。
日中、どんなに雪深い中でも毎日一回は自宅に帰るのは、この鯉の世話のためだ。
右側に見える建物の中に鯉がいる。地震で電気が使えなくなったときも、真っ先に発電機を用意して鯉を守った。
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建物の中には2歳以上の鯉と親鯉のいる生簀と、去年の夏に生まれた一歳児たちが沢山いる生簀がある。
さらに近くの車庫には1歳児の中でも模様の綺麗な優等生のいる大きな水槽もあった。
数え切れないほどの鯉がいて、どれも模様が違う。確か以前、"良い鯉の見分け方"をちょっとだけ教えていただいたことがあるが、ここにいる沢山の鯉、どれも綺麗な錦鯉に見えてしまう。これだけ沢山いるのにすでに一度選別が行われた後だというので驚きだ。この後2回選別を行って、はじかれた鯉は誰かにあげるか食べられるかしてしまうようだ。
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小屋の中にはいるとまず水の中に手を入れて温度を見て、愛しそうに水の中でしばし手を遊ばせる。空気の出具合、ろ過装置の具合などを確認して、餌をやる。親鯉は13歳になるらしい。生まれてから毎日世話をして、"選別"や"おけ洗い"という行事の時には近所の仲間たちと協力して行い、その後の一杯をまた楽しみながら、毎年手塩にかけて育ててきた。
このお宅だけではなく、地震で鯉を全て失ってしまった方々も、そうだったのだろう。

大切そうに見つめ、「この鯉で農林大臣賞をとるのが夢だなぁ」笑いながら、そう言った。

(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-01-20 02:02 | レポート

小正月4

「賽の神」 参
1月16日、小千谷市元中子仮設住宅でも賽の神が行われた。こちらは、浦柄地区の方々主催。前日、トラックで浦柄から材料を運んできていた。
浦柄地区の賽の神は地元でも有名な大掛かりな行事で、藁をより合わせて作る本格派、夏から準備していたと言う。
午後3時、点火。テレビカメラも入り、観客も総勢100人以上集まっていた。
浦柄の方々は集まった人々に竹を切って作った入れ物で、お酒を振舞っていた。
それぞれにお餅やスルメを焼く良い香りが漂い、大小2つの賽の神からは天高く炎と煙が舞い上がる。
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周りでは子供たちが雪遊びをして、ほろ酔い加減の大人たちの談笑が聴こえる。
私も顔見知りの方々を見つけては声をかけて、火を囲んで一緒にお酒を飲む。
地元の方も、ボランティアの方も、テレビ局の方も、沢山の人がいて、雪の降る中、みんなの願いを込めて、今日も賽の神の煙は高く高く昇っていった。
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(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-01-19 04:39 | レポート

小正月2

「賽の神」弐

点火までの時間に、昭治さんの家の雪ほりをした。プロ5人プラス1(私)。商店をやっているので間口は広いが、のんびりやっても1時間ですっかりきれいになった。みんなでやれば早いし楽しい。お隣の方も一人で始めたので、そちらも手伝う。
終わったあとみんなでお茶をのんで、3時半、そろそろ賽の神の点火準備。
家から注連飾りを持ってきたり、お札を持ってきて、中に入れる。見に来た人も集まり始めた。
雪を彫って簡単な祠を作り、蝋燭を立て、持ってきたお酒などを供えて、集まった人はまずお参りする。みんなの健康と、よい一年になりますようにと、そして、新潟復興を祈って・・・。
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朝日の方々はみんな仮設住宅に入居されているが、鯉の世話や家の雪ほりのために日中だけこちらに帰ってきている方も多い。そんな方々も集まって、20人くらいになったところで、新潟のおいしい日本酒で乾杯。そしていよいよ点火。
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高く高く、煙が立ち昇り、しばし、無言で見入る。今年は良い年になりますように・・・もう一度、願いながら。
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しばらくすると、竹の先にくくりつけた網で持ってきた餅、ほしいも、するめなどを焼き始め、良い香りが漂い始めた。持っていたお酒の中には飛んできた灰が入ってしまうが、それもまた風情。そのまま飲み干す。静かな山の中に、竹のはぜる音とみんなの笑い声が響く。そしてだんだんと火も弱まり、約2時間、賽の神も終わりに近づいてきた。
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この「賽の神」という伝統行事は、朝日地区ではここ数年で復活したものだと言う。地区によって、また、地区の中のさらに数世帯ごとのグループによって違うらしいのだが、朝日地区の中では今年賽の神を行うのはこの1グループだけらしい。どこかのグループが行っていれば参加はしていたが、製作から行うのはここ2年で復活した。それまで10年くらいの空白があり、一時は行っていなかったのだが、成行さんが中心になって復活させた。今年は復活2年目。震災によって毎年行っていた地域でも行わないところが出てきたが、成行さんたちは「こんな時だからこそこういうことを大切にしたい」と言っていた。「これがまた一つの活力になる」と。
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立ち上る煙を見上げる横顔は、満足そうだった。
すっかり暗くなった中、祠の蝋燭はまだ燃え続けていた。
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(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-01-18 11:44 | レポート

小正月1

「賽の神」壱

小正月、小千谷では賽の神が行われた。
といっても、何のことだか分からない方もいるだろう。私も最初地元の方から「小正月には賽の神やるからこいや」と電話をいただいたとき、電話口で何度も聞き返してしまった。聞いたことも無い行事で、どうやらわらを積んでお札や書初めなどを燃やして餅を焼いて酒を飲むらしい??そんなことだけわかったので自分の母親に聞いてみたところ、別の地域では「どんどやき」という行事で、呼び名は違えど全国各地で行われているらしい。

というわけで、14日の夜池袋を出発して15日朝、小千谷着。お供え用に(?)「ほしいも」と純米酒「ひやおろし」を持ち、約束の8時半に電話をくれたお父さん、成行さんのお宅(仮設住宅)へ。トラックに乗せていただき、朝日の山へ入った。幸い、久しぶりの晴れ!というか、曇り?!途中の浦柄地区あたりから携帯電話は通じなくなるので諦めてかばんの中へしまう。
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浦柄地区(水害でも大きな被害を受けた地区)


まずは、先に来ていたお隣のかわらさんのお父さんと一緒に家の前の雪ほり。除雪車の入らない山の中の道の雪は、溝が無いのでちょろちょろと井戸水の流れている地面の上に山盛りにして溶かしていくか、畑に捨てて春までそのままにしておくしかない。

1時間程雪ほりをして、松さん夫婦と、川新さんのお父さん昭治さんもきたところでさぁいよいよ賽の神の準備!今日のメンバーは、朝日地区の同じグループの、いつもの仲間だそうだ。
まずは家の前の広い畑の、2メートル近く(以上?)積もった雪の上をかんじきを履いて足元を踏み固めながら、スコップで直径2メートル半くらいの盛り上がった土台を作る。かんじきをはいていても埋まったりころんだり・・・。あたしはちゃんと手伝えるのか?!
背後には成行きさんが家の前から切ってきた竹、何に使うのだろう・・・。
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松さん、土台の上でポーズ

土台ができたところで、枝を切り落とした竹を真ん中に一本、その周りに円錐形に4本立てる。
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中に切り落とした竹の枝、杉などを入れて、その上に藁を立て、周りをロープで縛る。
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さらに下から藁を立てて行き、周りをロープで整えて、なんとか完成。本来はロープを使わず隣り合う藁を全てより合わせていくらしい。これには大変な時間と労力が必要で、夏ごろから準備している地区もあるという。
次は4人がかりで"つの"を作る。一人が根元を抑え、髪の毛の三つ編みの要領で、3人が編む。これは力が要るけど、三つ編みをする機会のないお父さんたちより、あたしのほうが良く知っていてお父さんたちもびっくり!それを二つ作り、真ん中を縛って力を加えて反らせて牛の角のような形にする。
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それを最後に一番上にしっかりとくくりつけて・・・完成!!
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記念撮影☆


賽の神に火をつけるのは、大体いつも夕方らしい。途中お茶したりしながら12時半ごろ完成、家でお昼を食べて、4時まで待つ。


(AVN横浜 えり)
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by 111 | 2005-01-17 22:09 | レポート